ば~との備忘録

日々気が付いた些細な事を書き留めてます。

忘れてた

1996年から2002年までの7年間、何故か毎年1回追突事故に遭ってました。

その大半は些細な追突被害でしたが、記念すべき第1回追突被害はホワイトアウトした高速道路上でノーブレーキで後続車が追突してきたため、自分も結構なケガをしましたし、乗ってたかなり丈夫な車(FJ62G型ランドクルーザー)も大破&自走不能(その後全損認定)となりました。
後続車の運転手さんは「前が真っ白でなにも見えず、ぶつかってから気が付きました」って事でしたので、「因みにスピードどれくらいでしたか?」って尋ねたら、「多分、100kmくらいと思います」との事。どーりて痛いわけでした。

第3回追突被害の時も比較的丈夫な車(VZN185W型ハイラックスサーフ)だったので、追突してきたのは大型トラックでしたが、ケガは免れ車体の後ろ3分の1消失&自走不能の被害(一部損認定)ですみました。
この車はその後、正面衝突被害(一部損認定)にも遭ってます。(正面なので追突7回には含まれず)

時は経って2020年12月、かつて7回も追突された事はすっかり忘れ、クリスマスの金曜日、夕方の渋滞に並んでおりました。
すると後方からとてつもない衝撃とともに背中になんか懐かしい激痛、そのまま前方車に追突しても止まらずに対向車線に弾き出され、ふと前方を見ると対抗してくるバイクらしき物体・・・どうにか避けられました。

後続の運転手さんは「すみません居眠りしちゃいました」って謝って下さいましたが、過去7人の追突運転手さんたちも、正面衝突運転手さんも、「ぶつかりたい!」なんて思ってた人は1人もいませんでしたから、人間が運転する以上エラーは避けられないと受入れる以外ないですね。

第8回追突被害の内訳は、ケガは頚部捻挫と背部打撲、乗ってた車(DA16T型キャリィ)は大破&自走不能(その後全損認定)、自分は救急搬送、車はレッカー搬送、あとの事はおまわりさんに任せて現場をあとにしたのでした・・・

救急搬送先の病院から帰宅するタクシーの中で「そう言えば過去にもこんな事あった」と思い出しました。
日々忙しくしてると、終わったこと、済んだことを頭からどんどん消去しないと次のことが入ってこないような気がしますが、この時ばかりは「そうもいってられないなぁ」と思い直し、ブログを始める気になったのでした。
なのでこの記事も、古い記憶を思い出しながら書いてます。(多少不正確なとこもあるかも・・・)